どうも、ナガトです。
すべては最初から決まっていた、というメッセージがけっこう前面に出てきているように思う最近の進撃の巨人。
今回は進撃の巨人における「運命」みたいなものを考えていきます。
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進撃の巨人には運命論が適用されている?
「最初からすべて運命づけられていた」
そんな言葉を漫画やドラマや映画で聞いたことがある人はけっこういると思うんですが、進撃の巨人でもそういった言葉が登場しています。
先日公開された130話でも運命論を匂わせる描写がありました。
「進撃の巨人」130話「人類の夜明け」/諌山創
「すべてが最初から決まっていたとしても」
「すべてはオレが望んだこと」
これはエレンの心の中を表す描写です。
ここでエレンが「すべてが最初から決まっていたとしても」と言っているのは、おそらくエレンが持っている「進撃の巨人」が持つ能力と関係していると考えられますよね。
「進撃」の能力はざっくりこんな感じでした↓
現在「進撃の巨人」を宿している者が、過去の「進撃の巨人」の継承者に現在の一部を見せることができる
詳しくは上に載せた記事の中で書いています。

「進撃の巨人」121話「人類の夜明け」/諌山創
121話では
「『進撃の巨人』は未来の継承者の記憶をも覗き見ることができる…つまり未来を知ることが可能なのだ」
とグリシャの口から説明がありました。
まさに121話のこのとき、19歳のエレンがグリシャの目の前にいるのは「進撃の巨人」の能力があるからです。
なので「記憶」もしくはその姿まで実体化させることが可能ということ(正確には姿は見えないけど声だけ聞こえる、とかかもしれない)。
とにかく
エレンはグリシャに未来の記憶を見せた
そしてエレンはそのグリシャの記憶を見た
ではエレンがグリシャの記憶を見たのはいつだったか?

「進撃の巨人」130話「人類の夜明け」/諌山創
それが今回130話で描かれた回想、エレンがヒストリアの手にキスをしたシーンでしょう。
22巻90話「壁の向こう側へ」でした。
このときに、グリシャが未来のエレン(19歳エレン)に指示を受けレイス家を殺すよう導かれた記憶を見たのだと予想できます。
つまり、エレンからすれば
すべては未来の自分が敷いたレールの上を進んでいる
という感覚になるわけです。
面白いですよね(; ・`д・´) というか興味深い。。。
未来エレンがグリシャに記憶を、、、そのグリシャの記憶を過去エレンが、、、
という構造自体がある種のループのようにも思えませんか?
ただ、物語がループエンドになるかは別ですが!
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やはり1話の夢は気になる!
「進撃の巨人」130話「人類の夜明け」/諌山創
「どこからが始まりだろう」
「あそこか?」
「いや…」
「どこでもいい」
の部分で1話のエレンが眠っていたシーンが挟まれました。
エレンは「いや…どこでもいい?」
と言っていましたが、読者的には「ちょっと待て!」と言いたい(笑)。
やっぱりあの1話のシーンは気になるよっ!
エレンが見た長い夢の正体は何だったのか?
未だに謎です。
まだ巨人の力を継承していない段階にもかかわらず、過去もしくは未来の記憶を見ていたようでした。
この伏線は回収されるのか!?
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その時点で進撃のチカラを持っているかどうかはもしかしたら関係ないのではないかと思いました。ポイントはその人物が将来に進撃のチカラを持つというだけでいいのではないでしょうか。「決まっていること」というのはそうしてやるという意思の強さと行動があって過去が変わるのなら、未来から過去への始祖のチカラも使えるかなと思ったんです。どこでもいい、というのはループなら連結地点があるんだと思うんですが、この場合座標を理解したエレンにとっては過去も未来も現在もすなわち同時進行みたいなものではないのかと思うんです。
それが出来たとしたら未来のチカラによってヒストリアの擬装妊娠もできるかななんてぶっ飛んだこと考えます。
そしてエレン自身が見てたエレン自身の意思で決まっていた未来をエレン自身が変える事は難しいと思うんです。結局巨人のチカラ=道というチカラが未来から過去に作用することで決められた意思の奴隷になってますがこの後始祖ユミルが本当の意味で解放されて巨人のチカラエレンが居なくなったあとの別の意思によって選択された未来なら変えることが出来るのではないかと、つまりは人類を救うのはやはりあの人ではないかと思いますレルト。
進撃の未来からの記憶。ループ構造とも言えそうですねたしかに。加えて始祖のチカラを使えば進撃継承者でなくても道を通して記憶を過去の者が見れるのかもと思ったシーンがあります。それが1話「その日人類は思いだした〜」という語りのところです。単純に人類史を振り返っての説明なのか、本当に人類が何かの屈辱的な感覚を思い出した(感じた)のかという疑問です、物語の冒頭のシーンなので何かあるのかもと思いました。