進撃の巨人コミック24巻97話のエレンの発言についてアレコレ考えてみます。
「自分で自分の背中を押し奴の見る地獄は別だ」とは具体的に何を意味しているのか?
スポンサーリンク
みんな「何か」に背中を押される
「進撃の巨人」97話「手から手へ」より/諌山創
エレン:「でも…皆『何か』に背中を押されて」
「地獄に足を突っ込むんだ」
「大抵その『何か』は自分の意志じゃない」
「他人や環境に強制されて仕方なくだ」
病院で過ごすエレンは戦争で五体を損傷したりそれによって体が自由に動かなくなった人たち、また精神的に壊れてしまった人たちを見て言いました。
そんなことになるなら戦場には行かないはず、しかし「何か」に背中を押された結果地獄に入ってしまう、と。
たしかに腕や脚を失うとわかっていれば戦場には行かないはず。
相当使命感が強かったりしないと自分から行こうとは思わないはず。
しかしその「使命感」でさえも「何か」であり、他人や環境によって醸成されたものではないか?とも考えてしまいます。
それは25巻のライナーとエレンの会話を見るとよくわかりますね。
「進撃の巨人」100話「宣戦布告」より/諌山創
エレン:「壁の中にいる奴らは自分達とは違うものだと教えられた」
「悪魔だと」
「お前ら大陸のエルディア人や世界の人々を脅かす悪魔があの壁の中にいると…」
「まだ何も知らない子供が…」
「何も知らない大人から そう叩き込まれた」
「…一体何ができたよ 子供だったお前に」
「その環境と」
「歴史を相手に」
幼いライナーたち戦士候補生は大人から壁内人類は悪魔だと教育されました。
先ほどの言葉を使えば、何もしらない子どもたちが、大人や環境や歴史に背中を押されたということになるのではないでしょうか?
たとえ行った先が地獄であったとしても、戦争で脚を失うことになったとしても、子どもたちは何も知らないからこそ進んじゃうですよね、きっと。
スポンサーリンク
自分で自分の背中を押すということ
ここからが本題です。
「進撃の巨人」97話「手から手へ」より/諌山創
エレン:「自分で自分の背中を押した奴の見る地獄は別だ」
この発言はかなり意味深だなぁと感じさせられました。
環境や他人に強制されるわけではなく、自分から地獄に足を突っ込むということ。
おそらく行った先が地獄であることがすでにわかったうえでということですよね。
誰なのか
まず「自分で自分の背中を押した奴」が誰なのかが気になります。
ただ言っているのがエレンなので、エレン自身を指しているのだろうということはだいたい察しがつきますよね。
レベリオ病院にいた大半の患者=他人や環境に強制的に背中を押されて地獄を見る
エレン=自分で自分の背中を押して地獄を見る
こう関係になるかと思います。
何を意味するのか
「自分で自分の背中を押した奴」が何を表しているのかを考えます。

「進撃の巨人」121話「未来の記憶」より/諌山創

「進撃の巨人」121話「未来の記憶」より/諌山創
エレンはグリシャに未来に関する何かしらの記憶を見せて、グリシャがレイス家を殺すよう仕向けました。
グリシャだけであればレイス家は殺されていなかったのかもしれません。
自分で自分の背中を押すというのは自分にレイス家を殺させたということではないでしょうか。
正確にはグリシャが殺したわけですが、促したのはエレンなのでエレンが殺したも同然と考えます。
そうなると
エレンが父親に人間を殺させる
↓
自分(エレン)の責任
↓
後戻りはできない
つまりエレンは後に引けない状態を自分の意志で作り出したということになります。
おそらく97話の発言はこの121話の場面で回収されたのかな、と。
もしかしたらクルーガーがグリシャに諭したのも(88話)、エレンの意志だったのかもしれません。
エレンが鏡にむかって「戦え」と言ってたあの場面自分を奮い立たせているように見えますが、フリーダの記憶でも鏡の前で髪を梳いているシーンがありました。鏡にしゃべっていたエレン、あのシーンは自分ではなくまさに”だれか”の背中を押している状況なのではないかなと思いました。
鏡って進撃の巨人の能力を考えるとかなり重要な道具になると思います。なぜなら未来の記憶を送られても送った側の主観だったらその人物本人の顔が見れないからです。そこで必要なものが”鏡”なのではないでしょうか?
フリーダの髪を梳くシーンとエレンの「戦え」のシーン、この二つのシーンに鏡が出てきたのは偶然なのかどうか。
必然である可能性はまだ低そうですが、面白いですね!記事にします(`・ω・´)ゞ
こじつけて妄想すると進撃世界の地図や文字、太陽が西から上り東へと沈むことも鏡合わせみたいになってます。何かの意図があるのかなぁと。世界そのものが何かに送られてきたとか無理矢理です。