進撃の巨人122話で始祖ユミルは豚を逃がした犯人として痛めつけられました(本当に逃がしたのかどうかわからない)。
読み返したらあのシーンはただの出来事ではなく、ある特定の意味を持った出来事として描かれているように思えました。
その意味について考えます。
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豚は家畜である

「進撃の巨人」122話「二千年前の君から」より/諌山創
そもそもなぜ「豚」なのだろうかと考えてみると、「家畜」と同じだということが見えてくる。
考察コメントを紹介します。
なぜ「豚」を逃がした?って思ったんですけど、わりとこの時のユミルの心理描写として大事な場面だと思いました。
自分の状況と豚を重ねたんでしょうかね?「家畜と一緒」だと・・・これって少年エレンがかつて言ってたのと同じです・・
P.S戯言さん、ありがとうございます!
始祖ユミルはこのときエルディア族に捕らえられた奴隷であり「家畜」のようなもの。
その自分の立場が「豚」という「家畜」と関連付けられて描かれているのではないか、と。
面白いですよね。
正直このシーンはスルーしていたのですが、こんな関連があったとは驚きです。
始祖ユミルが豚を逃がしたかどうかはわからないものの、少なくとも両者には「家畜」という点で通じるところがあると。
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エレンの言葉を思い出す
「進撃の巨人」1話「二千年後の君へ」より/諌山創
エレン:「一生 壁の中から出られなくても……」
「メシ食って寝てりゃ生きているよ…」
「でも…それじゃ…」
「まるで」「家畜じゃないか…」
1話でエレンは「家畜」という言葉を使っていました。
もう一度先ほどのコメントです↓
なぜ「豚」を逃がした?って思ったんですけど、わりとこの時のユミルの心理描写として大事な場面だと思いました。
自分の状況と豚を重ねたんでしょうかね?「家畜と一緒」だと・・・これって少年エレンがかつて言ってたのと同じです・・
もしユミルが豚を逃がしたするなら、コメントにあるようにエレンのように「家畜と一緒だ」という思いがあったのかも、と。
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ヒストリアは動物と親しかった
「進撃の巨人」52話「クリスタ・レンズ」より/諌山創
「ただ動物だけは私の友達でした」
「一日の殆どは牧場の仕事でしたが私が孤独を忘れる時間でもありました」
孤独な日々を送っていた幼い頃のヒストリアは動物だけは友達だったと言っています。
始祖ユミルとヒストリアが似ているというのは当サイト「進撃の世界」でも前から書いていますが、動物に関してもそうかもしれません。
ユミルが豚を逃がしたのは事実で、それは動物と仲が良かったからという背景が絡んでいるのかもしれません。
ヒストリアと同じように周りに助けになってくれる人間はいなかった、孤独だったのかもしれない、と個人的には考えています。
すべては豚の逃亡から始まった
改めて豚の逃亡を考えてみると、案外すごいことなんだなと気づかされます。
それは
すべては一匹の豚が逃げたことから始まった
ということです。
これ、考えてみると本当にすごくないですか?
ユミルの民という巨人になれる一族が生まれたのも、巨人大戦が起こったのもすべては一匹の豚から始まったということになります。
ここら辺も進撃の巨人にたびたび登場する「家畜」の存在が関わっているのでしょうか。
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