どうも!ナガトです。
120話に登場したコマと情熱大陸にて公開された最終話のコマにはにているところがありました。
今回は最終話のコマの考察をもとにして過去が変わる展開を予想してみようと思います。
まずは雑談からどうぞ。
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雑談
“ラストはこういう感じの展開に持っていくという枠は最初の頃に有りました。でもそれは、かなり漠然としたもので、いざ描き始めると、どんどんディテールができていって、その場その場で展開を考えていく感じですね”
(ダ・ヴィンチ 2014年10月号)— ㊗️諫山創bot㊗️ (@isym_hzm_bot) October 1, 2019
“ラストはこういう感じの展開に持っていくという枠は最初の頃に有りました。でもそれは、かなり漠然としたもので、いざ描き始めると、どんどんディテールができていって、その場その場で展開を考えていく感じですね”
(ダ・ヴィンチ 2014年10月号)
僕が言うのもなんですが、なんだかこういう感覚はわかります。
今もこうして文字を書いているわけですが、ときどきディテールが増えすぎて書き終わらなくなりそうになります…。
進撃の巨人は8巻辺りで終わらせる予定だったとか、22巻辺りで終わらせてもよかったという諌山先生の考えがインタビューなどで語れますが、書いているうちにディテールが増えてきたパターンなのかなと想像しています。
でも読者としては長く読んでいたいので、嬉しいのですが(^^)
とはいっても、物語は確実に終わりに近づいている感じですよね。どこまで続くのでしょうか…?
ここから本題です!
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似ている120話と最終話のコマ
先日に巨大サイト「進撃の考察」のある記事を読んでいました。
そこには120話のあるコマと最終話のコマが比較して語られていて、興味深かったです(*’▽’)
まだ読まれていない方はどうぞ。
この記事の中で興味を引かれた部分を引用させていただきました↓
諫山先生は最終コマを意識して描かれたのでしょうか?
そう考えると、この描写は最終コマに向けての意味があるひとコマなのかもですね!
ここで登場したということは、逆に最後のひとコマは「エレンとグリシャでは無いのかも」とも思いました!
この引用文だけだとわかりにくいと思うので補足しておくと、この文章の直前には
「進撃の巨人」120話「刹那」より/諌山創
この120話の場面と最終話のひとコマが引用されていました。
つまり、このコマと最終話のコマを見比べているということになります。
最終話のコマはエレンとグリシャではない
上で引用したようにアースさんは、ここで登場したなら逆にそれは最終話のひとコマがエレンとグリシャではないことを示すのでは、と言っていますよね。
納得しました(*’▽’)
たしかにこの2つは似ているので、逆に最終話の方は違う組み合わせなのかもしれません!
では誰なのか……?
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最終話のコマを考察…
ここからはナガトなりの最終話のコマの解釈を書いていきます!
親子はグリシャとジーク
最終話のコマの「お前は自由だ…」がエレンとグリシャではないと(僕は)思えてきましたが、そうすると「グリシャとジークかな?」と思えてくるわけです。グリシャとジークのパターンを考えるときには、ほぼ確実に過去干渉展開を考える必要があるので、おもしろい😌 vs.エレンを期待。#進撃の巨人
— ナガト@アース調査兵団兵士 (@nagatoshingeki) October 4, 2019
最終話のコマの「お前は自由だ…」がエレンとグリシャではないと(僕は)思えてきましたが、そうすると「グリシャとジークかな?」と思えてくるわけです。グリシャとジークのパターンを考えるときには、ほぼ確実に過去干渉展開を考える必要があるので、おもしろい😌 vs.エレンを期待。
あの親子がグリシャとジークである可能性を考えてみます。
こう考える理由は121話で描かれたグリシャとジークの再開にあります。
「進撃の巨人」121話「未来の記憶」より/諌山創
これは過去に戻ってグリシャがやりたかったことなのでは?とナガトは思いました。
「やりたかった」にとどまらず、実際にグリシャが過去に戻ってマーレ時代の家族との生活をやり直すことになるのかもしれないな、と。
ここでグリシャとジークが再開したことは、あるいは最終話のコマを示唆しているのかもしれないと思ったわけです。
しかし、そうなるとかなり話がSF寄りになります。
既にSF感はあるものの過去に戻る展開があり得るかわかりません、、。なので、まだこれは妄想に域にとどまるんですよね。
ただ、グリシャとジークが邂逅したことにはそれなりの意味があると思っているので、今後も注視しておきます(`・ω・´)ゞ
エレンが悪役になる未来
主人公がマジの悪役になると、作品としてどうなのか?みたいな読者の反応はあるかもしれないけれど、逆にそれを期待です😌「読者の期待を裏切るという形で読者の期待に応える」という逆説的な姿勢を持つのが諌山先生。ジークとグリシャの邂逅がイヤな気配を醸し出している気がしています。#進撃の巨人
— ナガト@アース調査兵団兵士 (@nagatoshingeki) October 4, 2019
主人公がマジの悪役になると、作品としてどうなのか?みたいな読者の反応はあるかもしれないけれど、逆にそれを期待です😌「読者の期待を裏切るという形で読者の期待に応える」という逆説的な姿勢を持つのが諌山先生。ジークとグリシャの邂逅がイヤな気配を醸し出している気がしています。
最終話のコマの親子がグリシャとジークであることは、グリシャとジークの確執が消えることにも繋がりますし、それは121話で再開した二人にも繋がります。
そうなるとエレンとグリシャの関係が危うくなってくるわけですよね(`・ω・´)
ジークとエレンの考え方は逆なのでグリシャがジーク側につくとなると、「グリシャ&ジーク vs. エレン」という構図が見えてきます。
これは読者にとってはかなりショッキングなことでしょうし、「地鳴らし」で世界を潰そうとするエレンに対して「エレン最悪…」といった意見も出そうです。
しかし、それが「読者を裏切る」ということなら、諌山先生はやるかもですよ……(; ・`д・´)
まとめ
そろそろ終わりにします。
・最終話のひとコマに描かれている親子はグリシャとエレンではない…
→120話で赤ん坊エレンを抱くグリシャが登場したということは、最終話は別の組み合わせ
・最終話のひとコマに描かれている親子はグリシャとジークでは?
→121話でのグリシャとジークの再開は伏線かもしれない
・グリシャ、ジークの接近
→エレンが悪役になる展開を思わせる
諌山先生がどのような形で読者を裏切ることになるのか、楽しみですし、緊張しますね!
それでは(^o^)丿
最終話を見せるというのは普通ならフライングでネタバラシをすることはありえないことだと思うんですが、最終話の「1コマ」ということならこれを作者サイドが意図的に先にメディアを使ってやってたら凄いですね。ある意味読者もグリシャ同様に作者に部分的に都合よく未来を見せられたということでしょうか?ということだとしたらあれはわりと想像しやすい展開に見せかけた別のパターンの可能性もありかなぁ、うまく作者に誘導されてる気もする。
>最終話の「1コマ」ということならこれを作者サイドが意図的に先にメディアを使ってやってたら凄いですね。
>ある意味読者もグリシャ同様に作者に部分的に都合よく未来を見せられたということでしょうか?
それはありそうですね(笑)。諌山先生はメディアの拡散力をわかっていたはずですから、あえてその力を使ったと考えられますよね。
僕たち読者が思うほど単純でもなかったりして…。
最近生まれた時から変わらないってエレンずっと言ってるから進撃と始祖の能力を使えるようになったから色々ひと段落したエレンが子供エレンに自由意思を刷り込んでる場面だと思いますよ。だから進撃継承前のエレンが長い夢を見た的な事を言ってたんでしょ。
つまりエレンが抱いている赤ん坊はエレン自身だということでしょうか?
眉の描き方が明らかにエレンでしょ